今回の映画を観て、あらためて感じたことはアンネの日記からリアルな1人の人の感情が伝わってくることである。アンネという少女が20にも満たない年齢でありながら、当時段々と追い詰められて行く様子がわかる。それは、僕らが想いを馳せるしかなく、言葉上でしかわからないことだ。彼女の言葉もまた、彼女の心にピタリと寄り添うものだったかは不明だが、彼女が強く感じていたことを彼女なりの言葉で書き残してある、ということが後世の我々が当時を知る上で重要な役割を果たす。
だが、アンネは600万人の中の1人でしかないという事実もある。ホロコーストで亡くなった600万人はそれぞれ家族があったろうし、それぞれの苦しみ、悲しみ、別れがあっただろう。それはまぎれもない事実だ。アンネ1人ですらこれほど悲劇的なのに、それが600万人分あって、しかもそれが各々の状況で起こったことだと思うと、その途方もなさに声を喪う。
映画本編で最初から強く主張されていたが、アメリカや他のヨーロッパ諸国が難民を受け入れなかったことは私にとって衝撃的な事実だった。映画内でも語られたように、ユダヤ人が逃げる術をもっていれば、各国が移民届けを受け入れていれば、この悲劇は起こらなかっただろう。少なくともその規模は変わったはずだ。移民申請を受け入れられなかった人の悲しみ、絶望はいかばかりだったか。それはアンネの父であるオットーのやり取りからもわかる。
各国がユダヤ人を積極的に受け入れなかったという事実を考えると、人道を第一としてビザを発給した千畝の素晴らしさというものを改めて感じる。彼は本国の命令に背いてまでユダヤ人の命を救った。彼だけでなく様々な人が、個人として勇気をもってユダヤ人を救おうとした。千畝という1人の日本人が六千人を救うことができたのだ。アメリカや他の国が、国として、受け入れを許可すればどれだけの命が救われただろうか。ホロコーストはナチスドイツだけのせいと思われがちだが、他の国もある意味で責任を感じなければならない。
映画の最後にあったように、人は歴史から学ぶことができる。だが、それが空疎な言葉でしかないのではないかと感じることは残念ながら多い。世界から紛争は無くならないし、テロは起きている。人と人の憎しみが止むところはあるのかと。ホロコーストという歴史に類を見ない出来事から我々は多くを学ぶべきである。また、ホロコーストは過去の出来事だと言い切ることもできない。社会的に弱者やマイノリティとされる人への差別は根強い。日本に関係ないなんて思うことは到底できない。むしろ、日本の問題でもある。それは多くの人が感じているだろう。今こそ、あらためて歴史を直視しなければならない。そしてそこから学ばなくてはならない。二度と惨劇を繰り返さないために。それこそ、我々が出来うるホロコーストの犠牲者への鎮魂の祈りになるだろう。
早稲田大学 塚田愼一
大事なことは勇気を持つことだと思います。しかし、人間は個人としては弱い存在で、勇気を出して何か主張することが時に困難なことがあります。だからこそ、勇気を少しずつ出していくために、過去を繰り返し振り返ることが大切です。そして、小さな勇気からやがて平和を目指す大きな力が芽生えるのではないでしょうか。
私は、過去に『アンネの日記』を読んだことがありました。今回の映画を見ることで、ホロコーストの犠牲になったアンネ・フランクの生涯を、父親であるオットー・フランクの生涯から見ることが出来ました。映画の終盤や映画上映後のディスカッションの中でもあったように、人間は過去から学ぶことをしていないのかもしれません。
戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさを考えた時に、よく次のような訴えが聞こえてきます。「過去を直視し、過去から学ばなければならない。」しかし、過去から学ぶことだけで、本当に人類は悲惨な歴史を繰り返さないようにすることが出来るでしょうか? 私は、それだけでは出来ないと思います。過去から学び、どんな些細なことでも自分には何が出来るのかと日々自問自答することが大切だと思います。
人それぞれが、自分にしか出来ないことを実践する勇気を持つことが重要です。平和な状況は、脆く永遠には続きません。だからこそ、歴史を直視し、歴史から何かを学び、そして自分にしか出来ないことをするという日々のメンテナンスが必要だと思います。平和のメンテナンスです。今回のイベントでは、ホロコーストサバイバーの方の生の経験をお聞きし、今では想像し難い当時の状況を知ることができました。私は、このイベントでもう一度過去を振り返りましたが、私にできる些細なことは、ホロコーストについてやホロコーストサバイバーの方のお話を人々に広く伝えていくことです。
早稲田大学 加藤聡
千畝ブリッジングプロジェクトの一員として、「アンネの日記」ドキュメンタリー映画鑑賞会に参加してき た。ドイツ大使館やイスラエル大使館の方々が多数参加されて、厳粛な雰囲気の中開催された。なかでもホロ コースト生存者であるヤーノシュさんとの出会いは感慨深いものだった。
上映後のディスカッションでは、システムの中では人間は不可避的に非人道的な選択を犯してしまうこと。ア ンネは虐殺された何百万人ものユダヤ人を代表する一人にすぎないこと。政治への無関心によって、知らない うちに誤った政策に加担していること。そして、人間は歴史から学ばないこと。様々な意見が飛び交った。
個人的に疑問に感じたのは、「無関心」という言葉。憎しみや怒り、敵意という負の感情は相手を認識した上 に成り立つ。しかし、無関心は相手の存在をそもそも認識せず、言葉通り相手を「無」として扱う。これ以上 に悲しいことはない。 世界はホロコーストに対して「無関心」だった。経済状況や文化的要因もあり、各国はユダヤ人難民を受け入 れる決断を容易にすることは出来なかった。それでも、他に良い選択肢はなかったのかと考えずにはいられな い。
History repeats itself…
トランプ大統領のイスラム教に対する姿勢、シリア難民に対する各国の受け入れ情勢。人間は歴史から一向に 学ぼうとしない。歴史を過去として蔑み、その価値を認識していない。歴史というものに無関心であるとも言 える。
規模感の大きな話ではあるが、これは身近な生活にも結び付く。周りの友人や家族にどこか無関心になってい る自分がいないか。彼らに真摯に向き合うことが出来ているか。一度振り返ってみても良いかもしれない。平 和も戦争も小さなところから始まるのだから。
早稲田大学 田中秀弥
とても考えさせられる深い映画だった。
娘をたすけたいと切望し、助けられなかった父親の気持ちを思うと胸がつぶされそうだった。
今日のような、若い人の意見をきけて、とてもはげまされた。
57歳
映画の中で、黄色い星をつけることによって、昨日までの友人に暴力を振るわれることになったという話があった。民衆の狂気は簡単に火がつく。今現在、不満の持っていき所のない社会的弱者に「自分よりもっと弱者」を与えて、差別させ、不満を解消させると共に、自らの支持層に取り込もうとする偽政者は各地にいる。ホロコースと規模は違えど、差別によって多くの悲劇が生まれている現状が、映画に重なって見えた。
また、戦後の立ち居振る舞いによって、日本とドイツで大きな差があるようにも感じた。ナチスの暴走を許した事も含めて、ホロコーストがドイツ国民ひとりひとりの責任であった事を自覚させた連合軍の考えは正しかった。対して日本は、というのは個人的な思いだ。
この映画を見て、もちろん反戦、反差別の思いは強くなるが、その思いの根拠は常に「愛」でありたい。
平和への希求そのものが目的でなく、「愛」を与え合う平和、そのための反戦、反差別でなければ、それは新しい戦いを生むだけだから。
39歳
幼い時にアンネ・フランクの日記を読み、若いころにアムステルダムのアンネ・フランクハウスに行きました。
学生時代には、ワシントンのホロコースト博物館にも行きました。人間はおそろしい。そのような行為を容認する余地が自分にもあるのかもしれないと考えさせられました。
今日また映画を見て、このような状況で子どもたちを育てなければならなかったオットーさんの心の痛みがどれ程か想像するのも辛いです。
40歳
ドイツ公使のお話の中で、ドイツとイスラエルの絆が強くなっていることを嬉しく思いました。また、ヤーノシュさんが奨学金を受け、ドイツに行くことを相談したとき、それを受け入れてくれたお父さんの言葉にユダヤ人の心の広さを感じました。
1971年教団(聖イエス会・ベットシャローム)の合唱団の初めてのイスラエル演奏旅行で、スイスから来ておられたオットー氏とナタニアで出会い、その翌年、アンネのバラを送ってくださり、その後の交流の中で、1980年4月13日に西宮に「アンネのバラの教会」ができ、オットー氏がとても喜んでくださり、1995年にはオットー氏と出会った合唱団のメンバーでもあった大塚信牧師を中心に教団で「ホロコースト記念館」ができ、アンネの親友リースさんも出席してくださいました。この平和のバトンを私たちも持って走りたいです。
71歳
この映画を見て、ナチ党を選び、ホロコーストという行為を間接的にでも行わせることになってしまったのがドイツ国民だと考えると、1人の人間として、権力を疑ってみることの大切さを改めて感じさせられた。
私たちの学校のアンネのバラ委員会では、ナチの政策からユダヤ人の子どもたちを救ったニコラス・ウィントンの映画を見たが、彼のようにユダヤ人を救える人間は非常に少なかった。
今の日本や世界についても言えることであるが、政治に無関心であるということは、自分が知らない間に国の政策などの大きな力に飲み込まれていることがあり、それがホロコーストのようなことを引き起こしかねない、と考えると、それは非常に怖いことだ。
目の前で起きていることについて、1人の人間としての考えを、権力に飲み込まれずに冷静に考えることが大事なのだと改めて思った。
東京女学館中学校・高等学校
オットー氏は娘達を救おうとあらゆる努力をしたがことごとく拒絶されてしまう。絶望せず諦めず次々と救い出す方法を考え続けたオットー氏の姿を思うと胸が痛んだ。
当時アメリカには難民を受け入れることができない経済的理由があったようだ。しかし人命より優先される理由がこの世にあるだろうか?アメリカにもたくさんの善意の人がいて、何とかしてオットー氏の願いに応えようと努力した人たちがいた。しかし国家の仕組みの中でそれらの善意はあっという間に消し去られてしまった。国家の恐ろしさを感じた。
今回、ドイツ大使館公使とイスラエル大使館公使、さらにホロコーストサバイバーであるヤーノシュさんが同席されたことはとても感動的であった。ドイツ公使のおっしゃった「加害者側が事実を次世代へ伝えることの大切さ」「被害者側が手を差し伸べることの大切さ」「それによって今のドイツとイスラエルの関係が実現した」という言葉が心に残った。日本はアジアの国々とそのような関係を結ぼうとさえしていない。日本人としてとても恥ずかしいと思った。
Kokoroボランティア
隠れた加害者性について考えさせられた映画であった。
フランクさんの米国への亡命申請のやり取りに表れたように、諸外国は、1930年代に高まる反ユダヤ主義に危機感を覚えたユダヤ人の受け入れに消極的であった。彼らがナチスの勢力圏から逃げ出せなかったことが、計画的な殺戮を可能にした要因ともなった。 ナチスによるユダヤ人迫害がシステマティックに行われたように、ユダヤ難民の受け入れもシステマティックに拒否されていた。 たとえ個々人に思いやりの心があっても、そういった「個」を飲み込んでしまうような集団や官僚制に恐れを感じる。
また、映画にも映し出された無視できない事実としては、アウシュヴィッツが解放されてからも依然として、ホロコーストサバイバーを含むユダヤ難民への無関心が続いていた状況があったという事実がある。 昨年訪れたイェルサレムのホロコースト博物館、ヤド・ヴァシェムには、「なぜアウシュビッツは爆撃されなかったのか」という、恨みと嘆きを発するパネルがあった。他の地域のユダヤ博物館では、そんなパネルを目にしたことは私はなかった。そこには、イギリスをはじめとする、他の国々の無関心についてやはり記されていた。
現代を生きる私の、私たちの無関心が、日本のどこかや他の国に、新たな無名のアンネ・フランクを生み出してはいないだろうか。 "All her would-haves are our opportunities"というアンネの家の展示で見た言葉が、頭を離れない。 彼/彼女の分まで生き、彼/彼女らを生み出さないようにする責務が、私たちにはあると思う。
早稲田大学 中嶋泰郁
この映画を見て、70年前にユダヤ人大量虐殺が行われていく中で、ユダヤ人がナチから逃げようとして難民になっていった、という状況は現在の世界の状況と似ていると思った。周りの国がユダヤ人を助けなかったという状況が、今のシリアなどの難民の置かれている状況に非常に似ている。これは残酷なことだと思っている。
映画の中で、アンネの従兄弟が言っていた「人類は歴史から何も学んでいない」ということはその言葉の通りだと思った。
歴史を見ない限り、自分たちが今行っていることが、歴史の中で繰り返していることだということに気付けない。歴史を知ることが自分たちにとってとても大事なことで、それは過去の過ちを二度と起こさないために必要なことだと思った。
湘南学園中学校・高等学校
アンネ・フランクについては幼い頃から興味があり、よく知っていた。
しかし昔から疑問に思っていたのは、なぜ父オットーが「隠れ家」という選択肢の他にもっと安全な方法を選べなかったのかということだった。
この映画で、その真相が明らかになった。オットーはあらゆる手段をつくして、せめて娘たちだけでも安全な国外に避難させようとしていた。しかしここもだめ、あそこもだめ。世界の扉が閉ざされた結果、アンネたち家族には、危険にさらされながら身を潜めることしか手段が残されていなかったのだ。
「ナチスははじめからユダヤ人を殺そうとは考えていなかった。ドイツ国外から追い出すことができれば十分だった。しかし世界は目を背けた。それが結果的にホロコーストという悲劇を生んだのだ。」これがこの映画の最大のメッセージだと思う。
アンネやホロコーストの史実を考える上での、新しい視点だ。そしてこれがまさに今、現在を生きる私たちに突きつけられている問題でもある。
世界でいまだ終わりを見せない戦争、圧政、虐殺、そして増え続ける難民…。世界が不安の中にある。そのなかでいったい私たちに何ができるだろう。
その答えが、この映画には示されている。それは「扉を開く」こと。そのためにはまず知り、関心を持ち、伝え、行動すること。世界のリーダーたちに向かって、扉を開けるよう声をあげること。
ヤーノシュ氏が最後に述べられていた「ドイツの変化」は、希望だと思う。
70年前には人々を恐怖に陥れていたドイツが、いまではどの国よりも難民を受け入れている。
それは、扉を閉ざすことが最終的には何をもたらすのか、この国の人々はよく知っているからなのだろう。
過去から学び、現在の教訓とする。この姿勢を、日本含め、世界でもっと共有し、本気で取り組まなければならない。後になって、「やっぱり歴史は繰り返すのか」とならないために。
Kokoroボランティア M.T.